お知らせ

2023/03/29

今年度の最後に 「愛を積み重ねる」

振り返ると、あっという間に一年が過ぎました。今年度も、コロナ禍に対応した中で保育を展開し、協力いただきました。できるだけ中止せずにさまざまな行事を開催方法の工夫や参加人数の制限などをして実施できました。毎朝の健康調査やマスクの着用の協力等々もありがとうございました。新年度はほぼ以前の生活様式に戻るようですが、コロナ禍で得た改善点は生かしていこうと思っています。

さて以前のお便りで、今を生きる子どもたちの将来は予測が困難で複雑な世の中になるとお話ししました。そのような時代を生きる子どもたちにとって必要な力は、エージェンシー(困難な状況を自分ないしは仲間と共に乗り越える力)であり、正解を見つける力よりも状況に合わせた最適な解を見つけ出す力であることだとお伝えしました。だからこそ、幼稚園では、教えられた通りに物事を行うことではなく、自由に遊ぶ中で目的を持ち、仲間と切磋琢磨することが必要なのです。

しかし実はそれを支える、いつの時代も変わらないものがあることをお伝え忘れていました。それは、親の愛、家族の愛、仲間の愛です。困難に直面した時、つまずいた時、人は一人で解決しているわけではありません。乳幼児期には成長の課題を、親の愛や先生の愛があるからこそ乗り越えていきます。学童期・青年期はそれに仲間の愛が積み重なって原動力になります。成人期以降は人によっては夫婦という愛も付け加わって行く場合もあるでしょう。どのような場合も蓄積された愛の量が困難を乗り越える原動力になります。

その愛の量は、困難を超えるごとに消耗するのではないかと思います。成人期に困難を乗り越えられない苦労をする人も多くいます。きっと蓄積されていたはずの愛が、かなり消耗してしまったから、困難を乗り越える原動力が弱ってしまっているのかもしれません。とするならば、どのように愛は補充されるべきなのでしょうか。

それは、子どもに対して親は、一生愛を注ぐことが必要だということではないかと思うのです。大人になった我が子に「愛してるよ、大好きだよ」とは言えないかもしれませんが、話を親身になって聞くことや一緒に食事をすることはとても大切なことだと思います。

今月無事に子どもたちはそれぞれの学年を終えることができました。翌4月には進級することなりますが、この時に子どもたちは進級というステージを乗り越えなければなりません。親の愛が必要なタイミングです。たっぷりと子どもに愛を注ぎましょう。

                                                     吉田耕一郎


2023/03/12

子どもの人権を擁護する保育

 


先日、他園の先生が本園を見学に来られました。見学後に感想を伺ったところ、子どもの自発性が尊重された保育が展開されていることや、一人一人がよく育っているとの高評価をいただきました。しかし一方で、いくつか指摘していただいたこともあります。それは、子どもの人権に関する私たちの姿勢を問うものでした。

例えば、“子どもを呼び捨てにしている先生がいらっしゃいますね”と言うようなご指摘です。これは私が最も反省しなければいけないのですが、確かにみなさんのお子さんを呼び捨てにしている声をよく聞きます。おそらく親しみを込めてなのだと思いますが、子どもの人権を擁護する見方からすると適切ではないと言われています。全教職員に呼び捨てにしないことを徹底したところですが、次年度に向けて、どのようにお子さんを呼ぶのが適切なのか、みんなで考えてみたいと思っています。また、“未満児の保育室の空間を分ける柵は必要ですか?柵をまたぐ先生がいました”。柵が必要な時期もあったと思いますが、今も必要なのか考える必要を感じました。柵を跨ぐことや保育中の先生の動作は、やはり子どものモデルとなる所作をしないといけないと感じました。

本園では“人権擁護のためのセルフチェックリスト”を実施しています。先生方は日頃の子どもとの関わり方を振り返り、厳しくチェックしていました。ほとんどの先生が言葉掛けや関わりを見直さなければいけないと振り返っていました。自らを厳しく振り返られる先生集団であることは本園の宝だとも思いました。

しかし、保育の実際においては一朝一夕に改善されるというのは難しく、ご指摘のような実態があることに園長として重大な責任を感じています。緊急的に改善しながら、3月末の新年度会議で全教職員一丸となって、子どもを尊重する保育を今以上に突き詰めていきます。                                                         吉田耕一郎

主体的・対話的で深い学び アクティブ・ラーニング

 

未満児さんの3学期は、年齢相応の生活習慣獲得の集大成にして欲しいと願っていますし、以上児さんにあっては仲間との遊びの集大成にしてほしいと願っています。今回は以上児さんの遊びの集大成の意義についてお伝えしたいと思います。

教育は大きく変革し、先生から教わる教授型の教育から、自ら課題や目的を持って取り組む問題解決型の教育に比重が重くなってきています。“探究活動”という言葉が出てきており、以前書きました通り、変化の激しい時代の中で生きることとなる今の子どもたちに必要な力は、解決の難しい出来事に対してひるまずに、最適な回答を得ようとする力だと言われています(エージェンシーとも言います)。その際に、学校教育を貫いて“主体的・対話的で深い学び”を目指すことがうたわれています。具体的な学び方を“アクティブ・ラーニング”といいます。端的に言いますと、子どもたちが自らの興味や関心に基づいて、比較的長期にわたって、ある目的を達成するために様々な取り組みをすることです。例えば、粘土遊びをしていながら、それをお団子に見立てて“お店屋さんをしたい”という発想になり、いろいろな種類のお団子を作ったり、値段を考えたり、レジを考えたりすると言う遊びが広がり深まっていくような姿のことです。実は幼児教育の現場では、平成元年からこのような取り組みを進めてきていました。その意義がますます重要になってきているということなのです。

遊びに対しての大人のイメージは、刹那的(その場だけの)で、積み木、絵本、粘土程度があればいいと捉えられがちです。しかし、本当は、先生の適切な援助や遊具や材料が豊富に用意された環境の中で、主体的・発展的に取り組んでいけるものなのです。この3学期、それぞれの学年で、遊びが深まるように先生方は子どもたちの興味関心に根ざした援助を模索し、素敵な集大成を見せてくれることと思っています。                 吉田耕一郎


事故を予見する力


冬休みを幼稚園で過ごした子どもも、家庭で過ごした子どもも、みんなが登園し、活気が戻りり、3学期が始まりました。私たち教職員も今日を楽しみに待っていました。

 さて今回は表題のことについて書きたいと思います。生きていくということは、様々な事故に会う可能性の中にいるということとも言えます。交通事故は分かりやすい現実です。外を歩いていても、車での家族旅行などでも、事故にあう可能性は常に存在しています。視点を変えて、室内には危険はないかといえば、危険な物・場所がたくさんあります。鉛筆なども危険な物と捉えることもできます。階段という環境も危険な場所になるでしょう。子どもは、そんな中で、身の処し方や扱い方によっては危険度が高くなることを、保護者の注意やちょっとした怪我をすることで学んでいくのです。そして、事故を回避する感覚を得ながら、様々な空間や物との関わりを深めていくのです。
幼稚園も上記の見方で見ると、多くの危険と隣り合わせということになります。私たち教員は、事故となる予見に基づいたり、事故を回避できる力の発達を考慮したりして、遊具や材料を段階的に増やし、その安全(適切)な扱い方を指導しています。その結果、遊びとそれによる学びを深められるとても多くの遊具や材料を扱える環境があることが、本園の特徴の一つともなっています。
しかし、教師側が事故を予見できなかったこともあります。例えば、園児用の折りたたみ机の事故事例が今年度2件ありました。ともに机の足が突然折れて足に机が落ちてきたという物でした。結論から言いますと、その園児用机の構造がいくつかの偶然が重なると足が折れる可能性が伺い知れました。しかしそれを1回目の事故の時には気付かずにいたために、2回目の事故が起きたのだと思うのです。2回目の事故を受けて、同じ構造の机を全て撤去し入れ替えることにしました。
今後、教師側の事故の予見能力を高めながら、場合によっては物的環境の見直しもしつつ、より豊かな経験と学びとなるようにしていきたいと思っています。             吉田耕一郎